葉山嘉樹の小説に登場する住環境はろくなものがない。基本的に狭く、室の区別も曖昧で、隙間や穴によって虫食い的に外部に曝され、どれも数十年住むことを計画していないような仮(借)宿として成立している。それ故に、そこには、中流家庭で可能な程度のプライヴァシーさえ認められない。しかしながら、鴎外『舞姫』に代表されるように、近代文学の多くが静寂な個室(プライヴェート・ルーム)の物理的環境に依存していたことを想起したとき、葉山文学の粗末な住環境は、翻って近代文学が暗黙のうちに前提にしていた諸々の条件(例えば「自己」の考え方)を捉え直すきっかけを与えてくれる。葉山文学を建築的視点から読み直し、そこに認められる非密室性、それを支える家の共同性や人員の流動性を評価することで、近代文学の前提を問い直すアプローチを試みる。
【目次】
序、近代文学のプライヴァシー
一、禁じられた密室――『誰が殺したか』『それや何だ』『鼻を覘ふ男』『海底に眠るマドロスの群』
二、『恋と無産者』の住環境ギャップ
三、マイ・ホーム建築計画――『屋根のないバラック』『窮鳥』
四、書くことの特権性――『恋と無産者』『窮鼠』
五、『義侠』に於ける書くことの自意識
六、葉山嘉樹と埴谷雄高
【略年譜】
昭和1(1926)年 『そりやあ何だ』、『文芸戦線』3月。『誰が殺したか』連載開始。
昭和2(1927)年 『鼻を覘ふ男』、『新潮』8月。
昭和4(1929)年 『海底に眠るマドロスの群』、『改造』1月。『恋と無産者』、『福岡日日新聞』1〜2月。
昭和8(1933)年 『屋根のないバラック』、『文芸春秋』11月。この年、借家生活から抜け出そうと、バラックを建築する計画を立てるが、途中で挫折する。
昭和9(1934)年 長野県の赤穂に移り住む。
昭和10(1935)年 『窮鳥』、『行動』7月。
昭和12(1937)年 『窮鼠』、『日本評論』2月。
昭和16(1941)年 『義侠』、『中央公論』、8月
昭和18(1943)年 満州建国の開拓団の一員として旅立つも、赤痢を患わって死去。