偶然性の思想を研究した日本の哲学者、九鬼周造は、たびたび国木田独歩の短編小説『運命論者』(『山比子』明治三六(1903)年三月)に言及している。そこでは、登場人物の出生の秘密と恋愛に関する奇妙で不思議な、即ち運命的な偶然性が着目される。九鬼が注目しているのは、本来反対の意味を持つであろう運命と偶然性がなぜ一致してしまうのか、ということだ。従来、偶然性のテーマによって独歩文学は検討されてこなかった。以前、拙文「国木田独歩、偶然性の場所」では、その試みのひとつとして『鎌倉夫人』を考察したが、九鬼の指摘は、貴重な先行研究として取り扱うことができる。九鬼の示唆から発することで、独歩文学の傾向性も考慮しつつ、テクストにある「数学者」と「運命論者」の対立図式を、偶然性に対する二つの態度に読み替ることができる。そこから、偶然性の小説として『運命論者』を評価する。
※2016年4月19日追記。中島礼子『国木田独歩の研究』(おうふう、2009、568頁)によれば、本論で言及した『一火夫』には代作の疑いがある。ほかに『関山越』『浪のあと』『雪冤の刃』にも疑いがかかっている。本多浩が疑義を提出し、川岸みち子が代作と結論づけた。本来ならば本論にも手を加えるべきだが、過去のテクストを無暗に改竄するべきではないと判断したため、ここに注記しておく。