宮嶋資夫『坑夫』試論――ポスト・プロレタリア文学の暴力論――

宮嶋資夫『坑夫』試論――ポスト・プロレタリア文学の暴力論――

状態 完成
最終更新日 2012年10月01日
ページ数 PDF:10ページ
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内容紹介

宮嶋資夫の処女作『坑夫』は、労働文学、つまりプレ・プロレタリア文学の傑作として評価されている。その為に、『坑夫』の論者の多くが、後のプロレタリア文学を参照することで、その史的価値の重要性を訴えてきた。つまり、大正期の冬の時代にも関わらず、プロレタリア文学の芽生えがここにある、という具合だ。しかし、その評価軸を前提にしている限り『坑夫』のアクチュアリティーは理解できない。『坑夫』というテクストには、先入見的な歴史観を括弧がけすることで見出される、共同体と暴力をめぐる問題系がプロレタリア文学以上に書き込まれている。テクストにそって坑夫共同体の組織性――本稿ではそれを散在的共同体と呼んでいる――を考えていくことで、プロレタリア文学(例えば多喜二『蟹工船』)の参照を経ない『坑夫』の今日的読解を試みる。

【『坑夫』梗概】
1916(大正5)年、自費出版に近い形で近代思想社から刊行。坑夫から生まれた坑夫、石井金次は乱暴者で有名だった。彼は自らの境遇から脱しようと、暴動や都生活等様々な試みをしたが、全て失敗し、坑夫の一人として、頼れる友もいず孤独に生活している。多くの坑夫仲間も彼を恐れ、事実石井は何度も坑夫やその妻たちとの間で騒動を起した。そして石井はその騒動のたびに自身の孤独を深めた。やがて、大澤という屈強な坑夫が石井のいる飯場にやってきて、両者は流血沙汰の喧嘩を始めてしまう。間一髪、石井は命を取り留めるものの、瀕死の彼に群がる坑夫たちは石井を足蹴にし、結果石井は死んでしまう。

本論文は『大正文学論叢』第1号(明治大学大学院宮越ゼミ、平二四・二)に収録されたもの
である。

目次
序、プレ・プロレタリア文学としての『坑夫』
一、仲間と闘う「軍鶏」
二、散在的共同体の成立
三、自由の条件
四、責任者なき共同体の暴力
五、ポスト・プロレタリア文学としての『坑夫』
奥付
奥付