埴谷雄高、散在する組織の中で――『死霊』統合計画㈠――

埴谷雄高、散在する組織の中で――『死霊』統合計画㈠――

状態 完成
最終更新日 2012年09月29日
ページ数 PDF:17ページ
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内容紹介

戦後文学時史上で特異な価値を占める作家、埴谷雄高の大小説『死霊』は未完のまま終っている。その原因の一つは、彼が小説に盛り込む筈であり、体験的に得た政治論的アイディアを他の評論文に書き散らしてしまったことにある。それ故、埴谷雄高の仕事は『死霊』で展開された宇宙論的・形而上学的存在論とレーニン=スターリン批判を中心とした政治論とに二分化されしばしば評価される。しかし、『死霊』はその政治論的アイディアと共に本来一つの仕事として統合されるべきであった。私達は実現はされなかったけれども正統であった筈の作品を彼の残したテクストをもとに再構想することができるはずだ。本稿ではその足がかりとなる埴谷雄高の組織論を考察する。

【埴谷雄高略年譜】
1909(明治42)年 台湾・新竹に生れる。本名般若豊。
1923(大正12)年 東京、板橋に移転。
1928(昭和3)年 日本大学予科入学。
1931(昭和6)年 21歳。日本共産党の入党し、地下生活に入る。
1932(昭和7)年 3月、逮捕され富坂警察署に留置。
1933(昭和8)年 転向上告書を提出し出所。「スパイリンチ殺人事件」の報に接する。
1945(昭和20)年 35歳。『死霊』執筆と雑誌『近代文学』創刊の準備。
1948(昭和23)年 38歳。『死霊』第Ⅰ巻(一章から三章)を刊行。
1949(昭和24)年 11月、『死霊』四章の連載が中断。
1956(昭和31)年 評論「永久革命者の悲哀」を『群像』に発表。花田清輝との論争。以後、政治論文を続けて発表し、スターリン批判の先駆的理論家として認められるようになる。
1960(昭和35)年 50歳。政治論文集『幻視のなかの政治』を刊行。
1965(昭和40)年 『死霊』執筆を本格的に再開。
1976(昭和51)年 66歳。定本『死霊』(一章から五章)を刊行。
1995(平成7)年 85歳。『死霊』九章「《虚体論》――大宇宙の夢」未完のまま発表。
1997(平成9)年 二月一日、自宅にて死去。

目次
序、分裂した二つの仕事
一、下位成員の獲得――密室のなかの指導者
二、成員の組織化――位階制と他人の思考
三、上位成員(へ)の監視――サンプルとしての首猛夫
四、成員の秘密排除――スパイリンチ事件
五、埴谷雄高の組織論
奥付
奥付