震災から5年目です。3月10日~14日、宮城県、福島県、岩手県の本誌読者や研究所会員のみなさんをたずね、震災から4年たった今をどのように思われているかを、率直にうかがいました。
今回の取材を通して、復興の軸足が何だったのか、何なのかが、いま大きく問われていることを目の当たりにしました。喜多方市では、避難者の孤立を防ごうとしゃべり場をした。しかし避難者は、どこから来たのか同じ県内でも言えない現実がある。ましてや、東京電力で働いていた労働者を家族にもつ人々への風当たりはきびしいと。飯舘村では、「飯舘は、山林が八割以上だが、その地は除染されていない。国や東電は、自分たちに都合よく安全基準を変えて、住民をほんろうしている。三世代家族が多かった飯舘は、この東電事故で、家族離散になった」といいます。福島大学名誉教授の相澤與一さんは、「国や東電は、非常に無責任な体質で、この構造は、日本の資本主義の特徴だ。破廉恥としか言いようがない。戦時体制とよく似ている」と憤っておられます。
陸前高田市では、災害公営住宅に住まわれている村上さんご夫妻を訪ねました。震災後に七回居場所が変わり、「もう疲れた」とおっしゃっていました。 本誌連載執筆者の前川慧一さんは、釜石の震災の記録とあわせて、戦時中の艦砲射撃の体験記録も進められています。非常に重く、なかなかお話しにならない人が多いと。しかし、これはたたかいだ。黙っていては、伝えなければ、権力のよいように使われてしまう。 五年目、これからどこで生きるか選択の岐路に立たされ、しかし、その岐路に立てない人々も多い。震災前の困難さを何とかしのいできた地域が、人が、いっそうの分断と自立のなか、選択を問われても無理がある。(編集主幹 黒田孝彦)