古代史の常識や通説を歴史的観点から検証していくと、戦前に信じて疑うことのなかった「皇統万世一系」も、戦後に教えられた「倭では、都市国家規模の百余国が分立していた」も、「記紀」や「倭人伝」にある記述の解釈も間違いだらけだったとわかります。邪馬台国の歴史がとんと解明できない原因は、ここにあります。一から、考え直す以外にありません。
「記紀」神話~応神の物語は、本来、倭奴国王朝が大乱後に、日向の高天(日高国+天之国、倭国)、畿内邪馬台国、出雲の葦原中つ国に割れて百年間も覇権を争った末、神武(磐余彦)が発向して、辛酉年三〇一年元旦に大和朝廷を開く王朝再興の歴史だった。その王系譜は、「神」のつく諡を連ねた、
伊奘諾~神武―崇神―神功・応神ですが,大和朝廷の為政者は、神武―崇神の間に大倭王八代綏靖~開化を、また崇神―神功の間に垂仁・景行・成務・仲哀の邪馬台国王を挿入して一系に変えたのです。
本書では司馬遷の信念に従い、記紀など資料、中国史書、伝承・神社の縁起、地名の由来、考古学成果を織り交ぜながら、神武即位が三〇一年、日神の天照大御神がヒミコに転身、大乱勃発が伊奘諾期の一八〇年代だと多角的に立証した上で、真の王系譜と史実に迫る道のりを順序立てて綴りました。
同時に、天璽と神璽、素戔嗚の英雄伝、神功の英雄伝、日本武の出自、伊勢神宮の祭祀変遷、天璽の鏡・剣の変転等についても史実をとことん探求し、そのつど検証できるように綴りました。
次に、その結果を総集して短編の歴史物語、『邪馬台国盛衰記』としてまとめました。言うなれば、理路整然とした論考と歴史物語、量子物理学の解法・帰納法を介して、自説の立証を試みた次第です。論考と物語を読み進む中で、そのつど神武実在・日神がヒミコに転じた顛末等に納得されるはずです。