明治の官制が太政官に移行した際、軍政のトップに大村益次郎が置かれたのに対して、外交のトップに起用されたのが、小松帯刀でした。もと薩摩の家老だけに、見方によっては当然にも見えるのですが、その直前の扱いは、たとえば長州の大村に比べると、けして大きなものではなく、やはり相当の実力を見込まれての大抜擢であったと考えるのが妥当なのでしょう。小松は典型的な薩摩のエリートでした。そんな小松が切所で見せた腹芸から、物事を主体的に捉え、呑んでかかることの肝要が見えてきます。
小松帯刀 |
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