神聖かまってちゃんと高浜虚子(詩人) ―――音楽なんていらない、に対する正しい論

神聖かまってちゃんと高浜虚子(詩人) ―――音楽なんていらない、に対する正しい論

状態 完成
最終更新日 2014年08月10日
ページ数 PDF:20ページ
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内容紹介

《 神聖かまってちゃん好きを言えない。/ 岡田斗司夫は「才能とは、」/甲本ヒロトも草野マサムネも峯田和伸も楽曲のなかで「ナイフ」というワード/高橋ジョージや内田裕也のイメージ 》


神聖かまってちゃんと高浜虚子
―――音楽なんていらない、に対する正しい論


《人によると、花鳥諷詠(かちょうふうえい)は閑事業である、そんなことをしている暇があるならば、もっとほかになすべきことがある、苦しい人生を逃避しようとしていたずらに易きにつくものである、もっと苦しまねばならぬ、若くして老人の真似をしてはならぬ、というものがありますが、それは一を知って二を知らぬ言であります。》高浜虚子



語って欲しいバンドを語ってくれない音楽雑誌やライターに我々、は反旗をひるがえそう!
これは、神聖かまってちゃん評である。そ、ニートの。。。
音楽の文脈を知っている音楽ライターが書かないから、
20代のks底辺が違った角度から「神聖かまってちゃん」評を紹介します。
今回は、「高浜虚子」を軸に、神聖かまってちゃんについて語っていきます。

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