特集 障害者の権利条約がいきる社会と日本
昨年一二月四日、参議院本会議にて障害者の権利条約が承認されてから半年が過ぎた。一四一番目(EUを含め)に締結した日本。ほとんどの障害者団体が条約批准を歓迎し、ここからが本当のスタートだと位置づけた。
障害者の権利条約は、第五六回国連総会(二〇〇一年)に特別委員会の設置が決定され、条約交渉を経て、二〇〇八年エクアドル政府が二〇番目の批准を行い、同年五月三日に発効した。日本の条約批准には、発効後五年半かかった。この歳月は、日本の障害者運動を大きく広げ、深め、そして成長させた。この時期は、自民党政権から民主党政権に移行し、また自民党政権に戻るという政治変貌の中での運動であった。同時に、東日本大震災、福島第一原発事故で、筆舌に尽くしがたい障害者や家族、事業所の人々の被災を体験し、いまも続く生活がある。
さまざまな障害者団体が、条約締結と関連国内法の乖離(かいり)を埋め、「障害者のことは、障害者自らが決める」という主体的な立場と運動を広げた。そして、国内法を整備しながら締結させる過程の検討会や審議会等への構成員を担って、運動と世論を背景に大きな到達と前進面を築き上げてきた。一方で、社会保障改革推進法や税と社会保障の一体改革などの動きは、法的拘束力から努力義務への後退や本誌六月号で紹介した六五歳問題など、条約と相反した動きもある。ましてや、他国に武力行使できる集団的自衛権の発動をくわだてる政権のもと、障害福祉だけが前進するとは考えられないのも事実だ。しかし、粘り強く共通の目標で取り組んできた障害者運動を重視し、その結束のなかの到達と、ほかの社会福祉運動におよぼした大きな教訓と激励は、集団的自衛権を憲法解釈で変更しようとする動きを、食い止める取り組みに連動することは間違いない。