《/ボケたがらないツッコミたがる現代人/「ボケ」に回ろう//「ツッコみ続けたまま、お前は死ぬのか?」文章を書く者と読む者突きつけられる/ボケに回る勇気/「異常な熱量」/異常な熱量を持って「ボケ」に立ったバンド/ネットに文章シコシコ書く意義の消失》
お笑い芸人じゃなく一般人がツッコミとボケという役割を意識する風景が当たり前になった現代。自分がツッコミ側にいることで人より優位に立っている気になりたい人が多い。同時に、ボケに回らないことで自分自身が傷付かないように、ある種恐れに似た意識でツッコミに回っている。しかし、死ぬ直前に、「他人にツッコまれた自分のあり方」は振り返ることはできるが、「自分が他人に行ったツッコミ」を振り返ることはないだろう。
「ツッコみ続けたまま、お前は死ぬのか?」 それはレビューを読む者と書く者の両方に突きつけられる。ネットに漂う多くのレビューはツッコミだ。自分は誰かより良いツッコミを行おうと常に考えて書かれたものだ。しかし、これからのレビューは違う。レビューも「ボケ」でいくべきなのだ
語って欲しいバンドを語ってくれない音楽雑誌やライターに我々、は反旗をひるがえそう!
これは、神聖かまってちゃん評である。そ、ニートの。。。
音楽の文脈を知っている音楽ライターが書かないから、
20代のks底辺が違った角度から「神聖かまってちゃん」評を紹介します。
今回は、異常な熱量とツッコミ過多の現代を軸に、神聖かまってちゃんについて語っていきます。