現在の『秀眞伝』(ホツマツタヱ)文書は、漢字が導入された後、漢字を用い編纂された【日本紀】(ニホンギと訛る)の元典に当たり、その後、写本を以て保存されていた文書でした。尚【日本紀】は逸書と成っていて、其の断片的な文面だけが今日迄残されています。然して、明治時代に編輯された現在の『日本書紀』とは、【逸書・日本紀】の下書き文書が研究用に写本され、幾つかの有力氏族の文書として残されていたのが明治時代に国史大系として編輯された本です。然るに「養老四年(720)・奏上」とする【日本紀】(逸書)の断片的記述部分を見れば、『現存・日本書記』(国史大系)に記述されていない内容が書き残されています。つまり、【秀眞伝】文書の【カミヨ・物語】の年代を総纏め的に計算し、更に【日本・開闢物語】以後に始まり彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(カミ12代目)迄の、各々のカミヨ時代の歴年数値に分割された【カミヨ・歴年数値】が書き記されているので在ります。然して、『日本書紀』に記されている【長髄彦討伐物語・開始年】に言う「179萬2470年」と言う天文学的数値の内訳部分は、下書き文書を更にテクスト的に用いる為の写本の時は、既に削除されていた事に成ります。
…【秀真伝】(ホツマツタヱ)文書は、【カミナ/上名=仮名】(神代文字)文字で書かれた文書です。その文字の形状は幾何学的な形状を有す文字であります。此の文字構成は「基本・1文字1音に因る48字」(カナ=神字)です。何故【カナ】(神名)と呼ぶのかと言えば、「基本・48字」は各々の文字自体が既にの【カミ】を意味するものとして定義されているからです。