わたしには生まれた青森の家とは別に、育った東京の家がある。働き口をみつけに上京した父、遅れて母とともにわたしが東京にやってきたのは、まだ乳飲み児の頃で、時代は戦前のまだ豊かな頃だった。父は借地ではあったが家を建てた。昭和のはじめではあったが、すでに水道やガスはとおり、わたしたちは日本人でも比較的早い時期での都会的な生活を営んでいたのだった。家には子ども用のブランコがあり、カナリヤも飼っていたのは、いまでは懐かしい思い出となっている。その懐かしい家は、アメリカの飛行機の空襲にあい、焼失し、いまはない。今回は、わたしの育った家について語ろうか、と思います。