自分の生まれた家をみたのが、戦後になってからだった。というのも、わたしは生後、比較的早い時期に生まれ故郷の青森を離れ、父の仕事のつごうで東京で育つことになったからだ。戦争が終わり、国民の大半が食糧難に陥っている時代に、わたしは母の実家のある青森にいき、そこで暮らしrた約二年ものあいだ、農作業を手伝い、食べものも十分、摂ることができたのだった。そしてちょうどその頃、すでに人手にわたっていたが、父方の生家と「再会」することができたのである。