福祉のひろば 2012年11月号 【特集】原発事故後の福島での生活と福祉

福祉のひろば 2012年11月号 【特集】原発事故後の福島での生活と福祉

販売価格:440円 (税込)
状態 完成
最終更新日 2013年05月20日
ページ数 PDF:88ページ
内容紹介

自分のまちに福島第一原発があったら
特集 “原発事故後の福島での生活と福祉”
─第18回社会福祉研究交流集会in福島(8月25~26日開催)─

私の住むまちの役所を軸に、避難指示の3キロ、10キロ、20キロ、30キロ半径の円を描く。そして、地震と津波と原発事故が襲いかかった福島のわずかな情報と見聞で想像し、その中で生き続けている福島の人たちの願いや思いを重ね合わせる。今回の社会福祉研究交流集会では、現地だからこそ聞ける大切なメッセージを伺った。

東京電力福島第一原子力発電所(以下、第一原発)は、東北の福島県大熊町と双葉町にまたがる東京ドーム75個分、350万平方メートルの敷地の海側に6基の原発が並ぶ。アイゼンハワー米大統領が、1953年に国連で原子力の平和利用演説を行い、原発導入先にあげられた国土の狭い日本は、広島、長崎の原爆に続き、54年3月1日のビキニ事件にもかかわらず、原子力の「平和」利用と「安全」、そして利権の原子力ムラの構築で原発建設を強行してきた。第一原発1号機は、71年に営業運転開始、79年の6号機まで順次稼働。つくられた電気はすべて関東に送られる。

この出来事を自分の住むまちに置き換え、暗闇での避難をイメージしても容易でない。まして、地震、津波で罹災した人々に、避難指示や避難行動はいかばかりだったか。放出された放射性物質は「無主物」で、降り落ちた土地の所有者のものになるという東電の見解や東京地裁判決はあまりにも福島に失礼ではないか。これも、憲法を無視する国の社会保障政策と同じ、「自己責任」でごまかすのか。