大谷禎之介著《『資本論』第2部仕上げのための苦闘の軌跡――メガ第II部門第11巻の刊行に寄せて――》(『経済』09年3・4・5月号掲載)の検討 |
【はじめに】 |
●第8稿第21章該当部分の全体の構成について |
●再生産表式の「眼目」についての「誤解」もエンゲルスの編集のせいだろうか? |
●大谷氏に、エンゲルスを〈「著者の拡大された視野」のかなめ〉の無理解で非難する資格があるだろうか? |
●編集者の一人であるのに、どうして自身のことについて、編集の段階で訂正できなかったのであろうか? |
●第1稿や第3稿にも「利用すべき諸個所」があった? |
●「ノート I ~IVの執筆次期の推定」と若干の思いつき |
●邦訳のある参考文献には、邦訳の頁数も併記すべきではないだろうか? |
●第2稿における理論的前進のやや過大ともいえる評価 |
●流動資本と固定資本との区別は「価値増殖過程」だけの問題ではない |
●「c 資本と資本との、資本と収入との、収入と収入との交換、という考え方の放棄」は果たして本当か? |
●[a 第3章の課題についての新たな視点]なるものの説明も納得がいかない |
●【第2稿第3章における二段構えの敍述方法による制約】なるものへの根本的な疑問 |
●〈第 I 部門の資本家と労働者とのあいだでの労働力の売買によって媒介される両部門間の相互補填〉は第II部門の〈第 I 部門からの生産手段の購買によって開始される〉というのは本当だろうか? |
●「Ch.III)b.II.)(第2部第3章)」はどう理解したらよいのか? |
●第4稿は第2稿より先に書かれたのにどうして「形式が完全」なのであろうか? |
●「ノート」と「草稿」をことさら区別する意味 |
●第2稿が基礎に置かれなければならないというマルクス自身による指示は重要 |
●第1篇第1章の「書き出し」にどうしてマルクスは拘ったのか? |
●【資本循環論における理論的前進】も今一つ納得がいかない |
●[b 商品資本の循環の独自性の明確化]についても疑問がある |
●「あとに置くべきものの先取り」とは? |
●【スミスのドグマについての最終的な総括】に関して |
●【「実体的諸条件」の解明から社会的総再生産過程の考察への課題の転換】についても疑問 |
●【社会的生産の二つの部門の呼び方の変更】について |
●【二重の叙述方法の放棄と貨幣運動の全面的な組み入れ】も受け入れられない |
●[a 可変資本の貨幣形態での前貸および還流の重要性の強調]について |
●[b 資本の前貸および還流と流通手段の前貸および還流との区別および関連の分析]について(その1) |
●[b 資本の前貸および還流と流通手段の前貸および還流との区別および関連の分析]について(その2) |
●[b 資本の前貸および還流と流通手段の前貸および還流との区別および関連の分析]について(その3) |
●[e 社会的総再生産過程における金生産の分析]も今一つハッキリしない |
●5月号掲載分の論文の全体の見通し |
●「II 蓄積または拡大された規模での生産」の冒頭にある「先取り」を如何に理解すべきか |
●1で論じていることは、現実の拡大再生産の直接的な規定である |
●3、4でマルクスは何を問題にしているのか |
●《5)部門IIでの蓄積》はどこまで含まれるのか? |
●何のための〈[a 「困難」の確認]〉なのか? |
●同じような拡大再生産の表式の提示でも、その目的や役割、位置づけには決定的な相違がある |
●表式aは何のために提示されているのか、「一つの新しい問題」としてマルクスは何を論じようとしているか(その1) |
●表式aは何のために提示されているのか、「一つの新しい問題」としてマルクスは何を論じようとしているか(その2) |
●表式aは何のために提示されているのか、「一つの新しい問題」としてマルクスは何を論じようとしているか(その3) |
●[d 二回目の試み――追加労働者の賃金支出についての新たな想定。「資本主義的生産の進行とは矛盾している」→中断]の検討 |
●単純再生産部分の転換を見落とす |
●[g コメント―拡大再生産の展開についての総括] も混乱である |
●[h これまでの考察からの帰結] における大変な勘違い |
●[ i 「貨幣源泉」問題への最終的コメント]について |
●第2部第2稿の執筆を中断した理由は何か? |
●「第8稿における貨幣ベール観の最終的克服」とは何か?(その1) |
●「第8稿における貨幣ベール観の最終的克服」とは何か?(その2) |
●【第8稿におけるマルクスの厳しい自己批判】とは何か?(その1) |
●【第8稿におけるマルクスの厳しい自己批判】とは何か?(その2) |