昭和5年、福岡県久留米市山本の良永啓太郎さんが中国オウトウを台木にしてヒガンザクラを接いだところ、穂木として使ったヒガンザクラから枝変わりの桜が生まれた。それが敬翁桜である。当時、花さかじいさんでおなじみの技で冬に桜を咲かせる技術は、福岡県久留米市、奈良県生駒市、群馬県全域、福島県須賀川市・福島市などで行われており、古来からの江戸彼岸桜、新種の東海桜がそのシェアを独占していた。
昭和40年ごろから山形でも促成を行うようになり敬翁桜を作ることとなった、昭和50年代後半から田んぼに作るということと、冬の仕事として出稼ぎをなくすということで爆発的に山形で普及し、平成20年には東京市場の切り枝桜の量的シェアの80%、金額ベースで50%を占めるにいたった。
盛者必衰の理のごとく敬翁桜もやがて飽きられ廃れる道をたどるかもしれないが、あるいは花の命は短しというべきかも知れないが、その桜を八重にして見たい、どんな花が咲くのだろうか。そんな関心から育種に取り組み、平成14年ついに敬翁桜の八重種が生まれた。その桜は平成21年、園芸文化協会長賞、ジャパンフラワーセレクション入賞、ジャパンデザイン特別賞を拝受するにいたった。
その育種過程を記録し後の育種家の一助または、異業種の方の何かのヒントになれば幸いとする。
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