バブルが弾け、うだつの上がらない一介のライターがふと思ったこと、「学生時代のヒッチハイクには夢があったなあ~」簡単な企画書を作り出版社数社に持ちこむと、一人の編集長が採用してもイイヨという。ここまでは一見順調のようだが…
雑誌の名前は「P&Dマガジン」どっちが正式かわからないけど、最初は「パジェロアンドデリカマガジン」と言ってたような気がする。まあ、どっちにしろパジェロとデリカ限定、オマケでチャレンジャーまではゆるすかんねという、世に言うワンメイク誌だった。必然的に、パジェロとデリカ、オマケでチャレンジャーしか乗っちゃダメだかんね、ヒッチハイクしていいのはP&DとオマケのCだけだかんねという「限定」の二文字がくっついてしまう。
夏季限定とか限定10名様とか、普通は「限定」が付くとワクワクしてしまうのだが、この限定はできることなら付いて欲しくなかった。石を投げれば四駆に当たる時代だったが、企画の話をすると誰に言っても限定されることなく「バッカじゃね~の」、みんなオウムになってしまった。深く考えてもしょうがない、オウムは空に追い払いそれ以上は気にしないことにした。
ギャラは超が5~6個付くほど安いけど「イイッスよ」、お気軽独身生活ゆえの超軽量級安請け合いで、2日後には朝っぱらから高速のインターに立つことになった。
40歳にてプロのヒッチハイカーになるとは夢にも思わなかった。学生時代から維持し続けた精神年齢とは裏腹に、暦上の年齢はWスコアになっていた。
しかし、この旅で得たものは計り知れない。多くの人と出会い世話になり、今も交流が続いている方が何人もいる。突然やってくるFACEBOOKでの再会も楽しみだ。ありがとうの一言では到底片づけることのできない想い出、まさか嫁さんまでこの旅で見つけるとは…。
凡人だからやっぱり「ありがとう」しか見つからない。精一杯の心を込めてもう一度、ありがとう。だんへいた(竹内範善)。
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