初代椎野正兵衛について調べて行くと,江戸末期から明治初期の日本人像が見られます。
商業主義がまだ日本人を飲み込む事がなかった美しい日本人がそこにいます。
『足るを知る』衣食住は乏しいがはつらつとした気品をもつ日本人を海外の人は誰もが素晴らしいと絶賛。そしてその「ものづくり」の精神にも、おおいなる羨望を持ちました。
欧米の人たちと一歩も引けを取らずに全く対等であったその精神は何だったのか。
そんな事を考えながらこの本は出来上がりました。
*部数限定発売の本(3,500円)の装丁にはS.SHOBEYの絹が使用されています。詳しくは椎野正兵衛商店までお問い合わせください。
| [扉] |
| [口絵] |
| はじめに |
| 刊行にあたって |
| 第一章 幕末期の椎野正兵衛 ― 横浜開港とともに誕生したS.SHOBEY ― |
| 黒い箱の謎 |
| ヘピングストンという人物 |
| 新たな事実 ESTABLISHED 1859 |
| 錦絵に描かれた店舗 |
| 加太商店と伊勢屋 |
| 呉服店内の国際部門 |
| 命懸けの商売 |
| 屋号「小野正」とは |
| 第二章 明治初期の椎野正兵衛 ― 和魂洋才のものづくりの精神 ― |
| 明治という時代 |
| 桐生と横浜の絆 |
| 横文字金看板を掲げたS.SHOBEY 店舗 |
| 初めての日本発ブランド |
| 武士道の精神が生きていた時代 |
| 海外の人が見たS.SHOBEY SILK STORE |
| 第三章 椎野正兵衛と万国博覧会 ― 海外への旅立ち ― |
| ウィーン万国博覧会への参同 |
| 椎野正兵衛のウィーン万国博覧会参同報告書 |
| 明治6年の海外市場調査と成果 |
| ウィーン以前に在ったドレッシングガウン |
| 椎野賢三のウィーン万国博覧会 |
| ウィーン帰国後の椎野賢三 |
| ジャポニスムのはじまり |
| フィラデルフィア万国博覧会 |
| 椎野正兵衛と宮川香山 |
| 第四章 ものづくりから見たジャポニスム ―世界を魅了したドレッシングガウン― |
| 和魂洋才のドレッシングガウン |
| 札の裏に書かれた文字の謎 |
| ドレッシングガウンの日本刺繍 |
| 室内着の直輸出 |
| ドレッシングガウンとジャポニスム |
| 端正なものづくり |
| 流行をつくる人、流行がつくる人 |
| 第五章 S.SHOBEY デザイン帖 ― 正兵衛の捉えた日本美の本質 ― |
| 寝耳に水の発見 |
| 新たなデザイン帖の出現 |
| 海外流失説 |
| 国内での保管説 |
| 「デザイン帖」と呼ぶ理由 |
| 自然を描き、命を招き入れる |
| 豊かな遊び心 |
| 第六章 明治中期の椎野正兵衛 ― 刺繍と手巾の歩み ― |
| 第一回内国勧業博覧会 |
| 第二回内国勧業博覧会 |
| S.SHOBEY の刺繍工房 |
| 染織のジャポニスム、その源流 |
| 刺繍女工養成所「脩養社」 |
| 手巾の出現 |
| 鼻拭から手巾へ |
| 手巾製造をめぐる事件 |
| ハンケチ女と色絵手巾の発明 |
| 手巾から肩巾へ |
| 昭憲皇后の逸話 |
| 第七章 明治後期の椎野正兵衛 ―正兵衛からの遺言 ― |
| 第7章 |
| 色絵手巾の創造 |
| 芥川龍之介の『手巾』 |
| 明治後期の万国博覧会 |
| 現存する刺繍作品の現物 |
| 所在不明な刺繍作品 |
| 美術結社「龍池会」の背景 |
| 龍池会への入会 |
| 正兵衛の展覧会出品目録 |
| 刺繍に込めた正兵衛の思い |
| 晩年の椎野正兵衛 |
| 正兵衛没後のS.SHOBEY |
| あとがき |
| あとがき |
| 附録 |
| S.SHOBEY 年譜 |
| 考書文献 |
| 奥付 |
| 奥付 |