孫子曰く、「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして敵兵を屈服させるのが善の善なるものなり。故に、上兵は謀を伐つ」
/素戔嗚尊の八岐大蛇(オロチの天照大神親子)退治/高皇産霊の葦原中つ国平定/神功皇后の新羅遠征/日本武尊の北伐/
倭奴国王朝七代女系天神(向津姫の母)の御代、即ち伊奘諾政権の一八〇年代、伊奘諾に養子入りして東の副都を治める豊受(天照)皇太神が三輪オロチ族と組んで反乱し、邪馬台国を立てた。出雲闇見国(月夜見国、黄泉国)で惨敗した伊奘諾主従は、熊襲東部の日向に遁走した。
百年後の二九〇年代後半、日向から東征した磐余彦(神武)は、邪馬台国を打倒し、三〇一年元旦に大和朝廷を開いた。
この間に、孫子の兵法極意「戦わずして勝つ」・「刃に血塗らずして敵を平伏させる」を成し遂げた英雄たちの偉業を仔細に綴りました。(『邪馬台三国志』歴史物語から抜粋して編集)