臨月で離婚した母は実家で私を産み、祖父母に私を預け家を出て行きました。
私は四人の叔父、叔母たちの末っ子として育てられました。私の母親は七人兄弟の上から二番目の次女で、叔父や叔母は私の子供の頃は結婚する前の大人達でした。祖父母は私のことなどそっちのけで四人の子供のために必死で働いていました。
私の生まれた場所は大阪の山奥で、大阪市内に行くより京都の方が近く、また冬になると雪で車が走れなくなるような田舎でした。
この話は昭和三十五年から五十年の実在した話です。それを元に日本昔ばなしのような情景で想像して読んで頂ければ有難いです。
当時、田舎では『離婚した者などいない』。祖父母にとっての私は世間に知られたくない子供として育てられたように思います。ただ幸いなのが近所に同い年の子供もおらず、父母というものがどんなものなのかも分からず、叔父、叔母、馬、黒牛、犬、鶏、年上の人達にもまれ、私は育ちました。
私は人間と犬の中間の存在で、小学校一年生になるまで歯磨きやシャンプーの事も知らず、お構いなしで育ちました。私には半分犬の血が流れているように思います。物心のついた頃から、犬や動物の世話は私の仕事で、祖父は働き手として私を見ていたのでしょう。生まれて間もない頃から、田んぼの畦道に篭を被せて置かれ、祖父母は田んぼ仕事をしていました。
私は野放し状態の野犬のような育て方のお陰で、自由を愛し、そしてたくましく育ちました。今の世の中にも、このように育てられた男がいることを知らせたいと思い、ペンを取りました。
数多くの犬達との思い出をどうぞお読みください。