なつやすみも終わりに近づいて、鳴いているセミはツクツクボウシばかりに
なっていた。ぼくは、小学生の最後になるなつやすみの午前中を、いつもだら
だらと縁側で転がってすごしていた。
なつやすみの宿題はとっくに終わらせてしまっていたけれど、厄介な『ラジ
オ体操』というやつがあるせいで、まいにちまいにち早起きになってしまって、
無為な時間を過ごすことになる。でも、ぼくはこの、『無為』というやつがきら
いじゃない。なんの為でも無い、ぼくの行動はなにも為さない、というのは素
晴らしいことじゃないか。これは、なつやすみというシステムがなかったら、
きっと一生学ぶことができないのだろう。そういうことも学ぶことができるな
つやすみというのは実に素晴らしい。
(つづく)