キュレーション【curation】無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。
この「キュレーション」という言葉がいま、インターネットの世界を席巻しようとしています。情報の膨大なノイズの海の中から、どうやってキラリと光るあなただけに重要な情報を取り出すのか。劣化したマスメディアでなければ、無味乾燥な検索エンジンのアルゴリズムでもない。情報と人を結びつけ、そこに人と人のつながりをも生み出す新たな概念「キュレーション」。この本では、芸術や音楽、茶道、陶器、歴史などさまざまな文化的エピソードを紹介しながら、21世紀の新たな情報共有圏の世界を明らかにしていきます。
| プロローグ |
| プロローグ ジョゼフ・ヨアキムの物語 |
| 放浪への憧憬をつのらせて |
| 戦地へ |
| 七十歳、絵に目覚める |
| つくる人と見いだす人の新しい関係 |
| 第一章 無数のビオトープが生まれている |
| 第一章 無数のビオトープが生まれている |
| ブラジル生まれの先鋭的な音楽家 |
| 大きなサウンドへとつながる私たち |
| 一九九〇年代、まだ音楽のマスマーケティングは有効だった |
| ついに来日公演が実現! しかし…… |
| 女性プロモーター、ピンポイントで戦略を練る |
| 西野カナが好きなスウェーデン人は日本人と盛り上がれるか |
| オープンとクローズが両立する新たな情報ワールド |
| 情報はビオトープに流れ込み、世界を覆う |
| ビオトープをどこに見つけるのか? |
| 歌姫マリーザ・モンチのライブに出撃する |
| ギターファンたちの特質に気づく |
| 彼女は水流をたどり、湿地帯を探検していく |
| 「ジスモンチ来日実行委」という謎の団体 |
| 狩猟者の本能的嗅覚で観客を突き止める |
| それは本当に小さな成功でしかないけれども |
| ビオトープに法則は存在するのか? |
| 第二章 背伸び記号消費の終焉 |
| 第二章 背伸び記号消費の終焉 |
| 署名運動に立ち上がった人たち |
| お笑いタレントとゾンビ映画 |
| マス幻想に引きずられる映画業界 |
| なぜ映画バブルは崩壊したのか |
| DVDバブルは来なかった |
| 九〇年代は音楽もバブルだった |
| 「アンビエント化」がバブルの背景にあった |
| HMV渋谷が閉店に追い込まれた本当の理由 |
| マス記号消費の消滅 |
| 若い水谷豊はどこから逃げだそうとしたのか |
| ドロップアウトもお遊びだった八〇年代 |
| ピストル射殺魔の青春 |
| ムラ社会は消え、透明な僕が始まる |
| なぜ秋葉原の加藤は犯行に及んだのか |
| つながり願望が消費市場を変えた |
| モノを買うことで、人と人がつながる |
| 福井の小さな眼鏡店の物語 |
| 田中さんはなぜ眼鏡店を志したのか |
| モノの向こう側に人の笑顔が見える時代に |
| クラウドとシェアが紡ぐ「清貧の思想」 |
| 所有の時代は終わった |
| 第三章 「視座にチェックインする」という新たなパラダイム |
| 第三章 「視座にチェックインする」という新たなパラダイム |
| フォースクエアの楽しさ |
| プラットフォームとモジュール |
| フラッシュマーケティングはなぜ盛り上がっているのか |
| ツイッターが古いビジネスを再生させた |
| チェックインするとレストランのクチコミが読める |
| リアルとバーチャルの境界はどんどんあいまいに |
| ツイッターで屋台と客がつながる |
| 刹那的な関係から、持続する関係へ |
| 千利休は招いた客をなぜ褒めたのか |
| 花を生ける人とそれを鑑賞する人 |
| エンゲージメントをもたらすのは人格だ |
| チェックインの秘密 |
| プライバシーの不安からはのがれられない |
| 「もっと新しい広告を!」 |
| ライフログはどこまで進化するのか |
| 2010年代にはライフログはブレイクしない |
| 暗黙か、明示か |
| チェックインはプライバシー不安を解消する |
| 視点を固定するということ |
| 『マルコヴィッチの穴』では何が見えるのか? |
| 人と人の間には世界観のゆらぎがある |
| 視座を得るという新しい考え方 |
| 視座にチェックインし、情報のノイズの海を渡る |
| 第四章 キュレーションの時代 |
| 第四章 キュレーションの時代 |
| 情報の真贋なんてだれにも見きわめられない |
| ネットは人の過去の言動を透明にする |
| キュレーターとは何か |
| シャガールの展覧会が新たに照射したもの |
| シャガールとアバンギャルド |
| 見慣れた絵が違う姿に見えてくる |
| コンテンツとコンテキストの美しい関係 |
| ヘンリー・ダーガーの孤独な人生 |
| キュレーターはアウトサイダーアートを見いだす |
| アウトサイダーアートを「発見」した精神科医たち |
| マス消費の果てに見えた生々しいリアル |
| 子供の絵は私たちの存在を揺り動かさない |
| コンテンツとキュレーションが分離した世界 |
| 愛犬「茶太郎」を描き続ける彼女 |
| 「コンテンツが王の時代は終わった」 |
| セマンティックボーダーという意味の壁 |
| 境界はつねに組み替えられていく |
| 「ゆらぎ」こそが私たちの情報をつねにリフレッシュしていく |
| 的外れな「タコツボ化」批判 |
| ムラ社会だからタコツボ化するだけ |
| つねに組み替えられる一期一会の関係 |
| 大統合のスタート地点へ |
| 第五章 私たちはグローバルな世界とつながっていく |
| 第五章 私たちはグローバルな世界とつながっていく |
| 文化はアンビエント化して国境を越える |
| イスラム弾圧に見る普遍主義の終焉 |
| 共有と断絶は同時に起きている |
| 情報発信の権力がパワーを失った |
| マスメディアが衰退し、多様な文化が発信される時代に |
| どこにでもいる普通の人たち |
| 戦後の青空に出現した中間文化 |
| 中間文化はすでに消滅した |
| ジスモンチのルーツを私たちは共有できるのか? |
| コカコーラのCMに見る戦後文化 |
| 文化帝国主義が花開いた時代 |
| 「ポストグローバル」という考え方 |
| グローバリゼーションは画一化を招くのか? |
| モンゴル帝国というプラットフォーム |
| プラットフォームは文化の多様性を保護する |
| イスラムブルーから思うグローバル時代の未来 |
| あとがき |
| あとがき |
| 参考文献 |
| 参考文献 |