父は、ある言葉を僕に伝え、平成24年(2012年)7月30日、91歳でこの世を去った。ある言葉とは、父の子として生まれた僕たち兄弟にも、あまり語ったことの無かった大東亜戦争の記憶であった。
父が戦争に行った経験があったことは、誰に聞いたのか覚えてはいないが、家族はみんな知っていた。しかし、知っていると思っていたのは、戦争へ「行った」ことと「通信兵」だった、ことの2点だけであった。
実はそれ以上のことは何も知らなかったし、聞くことも無かった。僕は、父から聞いた「ある言葉」の情報の裏付けをとるために、始めに永田町の国会図書館で、父が所属していたと言っていた、近衛歩兵第三聯隊史の復員者の名簿を確認した。そこには確かに父の名前があった。
父の話したある言葉とは、父が亡くなる2年ほど前のある日、東南アジアの地図を広げて戦争で行ったところを尋ねると、ほとんど地図を見ることも無く記憶している地名が、父の口から「メダン」、「カバンジャヘ」、「クタラジャ」「ベラワン」「バコンガン」に行った、というように出てきた。 僕は偶然父から聞き出した戦争の貴重なわずかな情報から、復員した兵士の回顧録などを収集し組み立て、父の辿った真実を知るために動き出した。
何のためか。
それは、22歳の時に軍国主義であった日本に生きた父とその家族の人生を知り、父の息子たち、即ち僕の兄弟と僕の子供たちと共有したい、という極めて個人的な動機がきっかけであった。それは、何百万人もいた日本軍の中の一人の大正生まれの男が、真面目に日本国とその家族のために一生懸命戦ったこと、その事実を覚え記憶に残したかった、という感謝の気持ちである。そして、僕が父から聞いた真実を伝えられるのは、もう僕にしかできないこと、務めだと思ったからだ。