僕がプロダクトデザイナーになれた理由


著:

僕がプロダクトデザイナーになれた理由

販売価格:1,650円 (税込)
状態 完成
最終更新日 2024年12月14日 3年以内
ページ数 PDF:334ページ
内容紹介

小中学生の頃、僕の人並みの成績は体育と美術だけだった。学校の成績の悪いそんな僕がどうやってプロダクトデザイナーになってソニーや東芝といった世界的な一流企業で良い仕事に携わることが出来たのか、なぜ、公立短大の教授になれたのか。自分でも不思議だ。ふりかえれば、今までの人生のなかで出会った「僕のデザインの先生たち」から学んだことを素直に実行したからだ。それは、デザインという仕事は何もないところから生み出すという教科書の無い仕事、一つの答えの無い仕事であったからだと思う。2歳の時に文京区の車道で交通事故に遭い一命をとりとめた僕はその後、当時ド田舎だった練馬区南大泉町へ引っ越し、毎日キャベツ畑を走り回ったり近くの森でカブトムシやくわがたを取りに行った記憶がある。その自然の中での遊びが自分の個性、デザインの発想の原点となって役に立っていることは自らが証明している。子供の頃、野山を走り回って転んで膝を擦りむいたり、蝶々を追いかけたり、池でザリガニを捕ったり、つくしやのびるを摘んだり、四葉のクローバーを探した、など自然の中で遊んだ経験の無い子供たちがその楽しい記憶の無くしてどうして人が楽しいと思うような発想を創造することが出来ようか。世の中は人を中心とした楽しいこと、嬉しいこと、癒し、美しいことを求めている。そのような僕は22歳の春、1979年4月新卒で総合電機メーカーの名門、東京芝浦電気株式会社(後に株式会社東芝と改名)のデザイン部門に採用され、7年間勤務した後に、中途入社でソニー株式会社のデザイン部門に採用となりその後27年間同社で製品の工業デザイナーとして、あるいはデザインチームのマネジメントとして勤務し、56歳の時に会社都合で早期退職した。この時、1万人のベテラン社員がソニーを去った。2013年3月末のことである。僕は、幸い同年4月から公立大学法人大分県立芸術文化短期大学に採用いただきプロダクトデザインコースの教員として2022年3月までの間、9年間も学生の指導に就かせて貰った。この本がこれからプロダクトデザイナーを目指す若い不安な後進の一助になれば幸いである。