古代史の常識や通説を歴史的観点から検証すると、戦前に信じて疑うことのなかった皇統万世一系も、戦後に「百余国を束ねた王朝など、存在しなかった」と教えられたことも、全て誤りです。邪馬台史の全貌がとんと解明できない原因は、ここにあります。一から考え直して、再構築する以外にありません。
大陸の古い歴史を背負った渡来人らが築きあげる弥生史は、魂の再来、不老長寿、古の善政再現、仏法流布に挑戦した歴史でした。
縄文晩期、呉王夫差末裔(太伯ら子孫)が渡来して建てた天之国は、前三世紀に興る倭国王朝(戦国韓系日高国と天之国の連合政権、高天)、一世紀前半に興る倭奴国王朝(倭国と豊葦原中つ国の連合政権、天地)、天孫降臨後の南九州では日隈・日前・和国の名で再興された後、東征して大和朝廷の名で蘇った。
一方、前四世紀に越王句践末裔(夏后小康庶子末裔)が建てるオロチ厳之国王朝は、豊葦原中つ国王朝、続く伊都国王朝の名で蘇ったが、結局は倭奴国王朝に取って代わられた。
大乱後、倭奴国王朝が日神率いる高天、畿内邪馬台国〔天照大神率いるオロチ系瑞穂厳之国王朝〕に割れて覇権を争った後、纏向に統一王朝〔ヒミコ(日神)率いる天(厳)之国王朝(倭)→火明饒速日率いる日本朝に発展〕を共立するも、日向から東征した磐余彦(神武)率いる和国勢に席巻された。
とりわけ戦わずして倭国統一を謳う天照大神に対し、徳と真心を説く日神が仕向けた覇権戦略や、怨念と我欲にまみれた日本朝に対して、日神の教えを守ってきた和国勢が「天下は一つ、家は一つ」を合言葉に挑む覇権戦争は、三国志や戦国・幕末期を凌ぐ世界中に誇れる無双の歴史だったが、大和朝廷の指導者らは本来の皇統、
神武―崇神―応神とあるべきところに、神武―崇神の間に大日本八代を挟み、崇神―応神の間に垂仁・景行・成務・仲哀の邪馬台国系四代を割り込ませて、万世一系に改ざんしたのです。
司馬遷の信念と本来の王系譜の下で、記紀・史記など資料、各地の伝承、神社の縁起、発掘結果、地名の由来、各家の奉じる祭器と変遷を織り交ぜながら、縄文晩期~大和朝廷樹立に到る歴史を物語化しました。本書はそのあらすじです。