メディア産業の役的な役割をぼくは論じた。
それはニュース会社が世の中で果たしている役割とは、その企業が翼賛政府の立場を取るか、権力(者)批判スタンスを取るかを問わず、その報道が届く範囲の国民をただ一色に染めあげる思想統制作業と、そこからはみ出しているアウトローの存在そのものを許可せず、
「ちゃんと働くまともなニンゲン」
に執拗に変えようとはたらく機能である。そのためにメディア会社は、宣布するそのイデオロギーを、同業他社とともに社会に公布し施行することと、人びとに受け入れさせること、批判を許さないこと。それからはみ出す個人の思考と行動を禁止する検閲機能を果たしていると、ぼくは論じた。
ニュース新聞会社は、ニュースの多様性を貧弱にする。ニュースは一人ひとりの口コミの多様性を喪失し、ニュース会社が各種のメディアソフトに載せて配信するニュースのみが正当ニュースとされるのだ。
同時に人びとは活字や電波に乗ってくる情報のみを、神様のお告げのように崇める。紙面等のスペースの成約から、世の中に存在するであろう種々千万なニュースのなかから、ニュース会社(とその株主など)の利害に添ったひとにぎりだけのごく少数のニュースだけが選抜され、読者に届けられる。受け取ったほうは、多様性を喪失しておそろしく貧相なニュースをただ飲み込むことだけを要請されている。
毎日毎日一億人人が全く同一のニュースを受取り、それを咀嚼しているわけなのだ。社会がたった一つの方向に傾いて走り出すのは当然であろう。
ここに非対称の権威主義が発生する。これがすなわち近代国家の政治経済社会あらゆる方面の権力のいわれである。
この本においてぼくはおおよそそういったことを論じたのである。
第一章 身分社会 |
第二章 二一世紀の奴隷制社会(1) |
第三章 二一世紀の奴隷制社会(2) |
結び |