プランナー、加藤康祐のブログ、kosukekato.com : the idea espressoに掲載したコラム、2006/7/20「歴史は作られている」から2010/5/23「行為が流通するプラットフォームに新しい時代を感じる」を一冊の本にしました。
歴史は作られている |
YouTube訴訟とネットにおけるコンテンツの著作権 |
食の自由 |
物語構築法 |
Web 2.0時代の収益モデルについて |
ブログスフィア、透明性の企業ブランディング |
CGMとインセンティブ |
コンテンツメディアの可能性 |
美辞麗句 |
Eco Resonance |
ゲームというインタラクティブコンテンツの先端 |
洒落っ気 |
リスクと担保 |
ラグビーということ |
機能美と装飾美 |
美しい国 |
女性的なもの |
ビジネスの三様 |
第三者的評価と準備コストと集合知 |
プログラム設計で学ぶ論理的表現方法 |
天然と養殖、大人にとっての「食育」とは |
天は人の上に人を作らず、天は人の下に人を作らず |
センスウェア |
何でもできるというのは、何もできないのと同じこと |
批評坊主と反面教師 |
褒められて叱られて |
楽しむための努力 |
FONで我々の世界は変わるか? |
ユーザ進化論 |
勝ちの価値 |
社長は生き方 |
醜さの美しさと美しさの醜さ |
YouTubeの価値の再定義と動画コンテンツの行方 |
エヴァンジェリストのススメ |
90年代に青年期を過ごした記録 |
全うする |
人たらし |
箱庭的世界への憧憬 |
死後のコンテンツ |
合理性と物語性 |
ITに夢は抱けるか? |
プロダクトのソフトウェア化とコンサルタントのプロデューサー化 |
種を蒔いてもらったこと |
楽天経済圏とAmazon文化圏 |
政治にこそSNSを |
「そのまんまマニフェスト」に見る自治体ブランディング |
RSS周辺事情 |
紙メディアのこれから |
「思いつき」に溺れないために |
ヒトの進化とヒトの退化 |
SEOについて |
一元化 |
ノマド的思考 |
アイデア・エスプレッソの抽出フロー |
SDWT 1 : Shut DownとShut Out |
SDWT 2 : パソ太君もといプランナー |
SDWT 3 : 人を場所に繋ぎとめるもの |
SDWT 4 : 携帯大国?携帯鎖国? |
SDWT 5 : 言葉の行方 |
SDWT 6 : 記録に残せる時代 |
負けの価値 |
横浜スタイル |
人工知能、知能増幅、融合知 |
なんとか力 |
知の放牧 |
デザインは事件か? |
個人事業主の仕事は劇場型であるべき |
国民総批評家社会 |
僕が本を読み続ける理由 |
洗練ディピティ |
IDEO的なこと、Google的なこと、21世紀的なこと |
知を食う人々 |
アイデアゴラ |
ウィキエコシステムに関する仮説の羅列 |
ネット時代の徒弟制度 |
「かぎかっこ」の魔力 |
ジャンヌダルク・ブランディング |
手法が先か、実行が先か? |
面白い |
シンプルなものは飽きないというのは本当か? |
三題話 |
誰にでもわかる言葉で考える |
人はなぜそれでもWindowsを使うのか? |
ソーシャルデザイン |
信仰と信心 |
エコ教育 |
Time Is Money |
正論の落とし穴 |
保健体育という学問 |
美しい国は壮大なティザー広告だ |
知的に出し惜しまない社会、物的に出し惜しむ社会 |
地球と倫理 |
フラット化しない世界 |
人肌にエコ |
仕事でも私事でもないという距離感、あるいは位置づけ |
Small Business, Good Sense, Great Attitude |
English Man in New York的に行こう |
Viva La Creation |
Googleが広告業界をぶっ壊す日 |
メディア不要論 |
ソーシャル社員 |
人口の時代の再来なのか |
IT業界って何だ? |
WhatよりWhyだ |
僕はデザイナーとして機能しないと思う |
CaesarよりAugustus |
正義のヒーロー |
抽象と具体 |
僕の100はクライアントの80でしかないという法則 |
俺流知的生産術 |
グーテンベルグ以来の大発明 |
ELITE IS NOT HERO |
完璧は絶望 |
初恋くらいおぼろげな心持 |
あなたは何を売るか |
自分の成長と収入の増加に相関はない |
顧客貢献度 |
ストーリーストックを持とう |
自分の立場を守る仕事と自分の誇りを守る仕事 |
パラダイス鎖国と言われて |
直接取引 |
表現介添人 |
世界観が全てを凌駕する瞬間 |
あなたの○○にplusALPHA |
睡眠ing |
紹介責 |
視界を狭め、世界を広げる |
「好き」でなくて何ができる |
梅田望夫的視点の意味 |
幸せの約束 |
素朴志向 |
単純な思考回路を補うために |
仕事は問題解決である、という原理原則 |
20%の我慢が必要になる時代 |
FAにとっての持続可能性 |
ダブルメジャー |
平和と平静 |
コンセプトでデザインしない |
花の盛りがわからないやつに、女の盛りがわかるのか |
国民総批評家社会 その2 |
WEBデザインについて |
思考のスタッカート化 |
LZR Racerに見る顧客満足至上主義の限界 |
枠と型 |
成功と失敗の連鎖と集積としての「原型」 |
否、否、否 |
ユーザエクスペリエンス |
ネットで買う |
To Be Classic |
私的TE・N・KAI考 |
八百屋、魚屋、デザイン屋 |
「わかんないけど」が口癖です |
臆病という剣 |
お墨付きの功罪 |
Don’t Be Evil |
心の闇 |
デジタルネイティブの台頭が、人材流動化の鍵? |
クラウドソーシングに必要なのは、旗印の魅力 |
不況が降りてくる |
成功と成長 |
Flickrというセンスの坩堝に溺れる |
Twenty Five |
阿吽でイタコでキャッ! |
Photo Is |
Big Wave |
自分デザイン |
企業の体力 |
ガラガラポンとベーシック・インカム |
虎の威を狩る |
美人な映画が観たいんだ |
料金のこと |
ToDo管理の極意 |
Sonyに見る「○○らしさ」の考察 |
仕事をしている時間と仕事らしいことをしている時間は半々くらいだ |
ソーシャルメディアマーケティング |
逞しい女性社会起業家論 |
リスクを取ることだけが、自分のやりたいことをする方法ではない、という話 |
中庸な刺激物でありたい |
環境という変数について考えてみる |
ライブパフォーマンス |
選手として二流、観客として一流 |
建築について素人なりに思うこと、坂口恭平氏と0円ハウス |
テレビ局オンデマンドについて思うこと |
日々、食べている |
Twitter Boots Me |
iPhoneの何が良いのか |
そもそもの目的がコミュニケーションであったはずが、コンテンツの消費に変質しちゃってるあたりに不毛感があるのかも |
構築されたものを解体する、メディアビジネスについて |
世界を引き受ける |
電気自動車とそれに伴う世界の変化について考える |
デザイナーじゃない人がデザインをする時に気をつけたいこと |
帰属するけど依存しない |
ちょっとまだ先にある社会ユニットのダウンサイジングについて |
コンテンツビジネスはこれからの日本を支えるのか |
僕の企画書 デザイン編 |
僕の企画書 構成編 |
凡人は天才と出会い天を仰ぎ、天才は凡人と出会い地を踏みしめ、人は人と出会って人でいる |
幼心に見るコレクト嗜好とセンスのブラッシュアップのメカニズム |
Social Beingについて考える – 脱メディア思考のススメ |
ARについて考える – 東のエデンが示唆するもの |
マニフェストについて思うこと |
書き溜めることは積み立てられる財産だ |
一人でやらない |
ETの業態について考えてみる |
デザインの論評は面白くない |
いかにネットと向き合うか – 離脱率を考える |
後輩に勧められない仕事をしています |
私的CMS選定基準 |
金を2倍出すから、知恵を2倍出せ、と言われたら |
Service As A Platform – コンテンツとネットの未来について |
ノマドと独立性、移住と再定住 |
美について |
図鑑考 |
コトとナリ |
CEOよりCOOという話 |
分業について考える – 乖離と吸着 |
ガラガラポンなるか? – 民主政権に思うこと |
フリーランスはどこへ向かうのか? – 僕のフリーランス学 |
トレーサビリティ – 流通から考える農業 |
断る力と断らない力 |
オプティミズム |
なりきりプレイ |
ただひたすら仕事をするという行為自体の意味性を考える |
短命の美学 |
クラウド時代のセキュリティ感覚 |
壺中在天 |
表現者、なのか? |
対等な関係という言葉を聞いて考えた |
ニューヨーク、ニューヨーク |
混沌するマネージメントの時代 |
僕なりのアテンション・コントロール -> ET withwith |
「どっぷり」という有料化へのフック |
Being Social |
アンコと唐辛子、そして明太マヨネーズ |
上から受けた恩は下に返す |
コストと投資 |
ノマドと思想、あるいは「生きやすさ」について |
そういやHTMLは出先か夜に書いてたな – ギルド再考 |
「楽しい」のパッケージ |
市井の人 |
アカデミック |
私的ノマド・エッセンシャルズ |
FREEと所有 |
シュウカツ再考 |
憧れの頂 |
コンテンツとプラットフォーム – 電子書籍について考える |
事情考 |
手の届く範囲 |
感覚で買うのか、情報で買うのか |
プロセスをなぞるということ |
聴く人 |
メディアの再定義 – スモールメディアの隆盛とマスメディアの凋落について考える |
電子書籍のソーシャル性を今のソーシャルメディアをメタファーに考える |
iPadの広告なんて全く見てないのに、ソーシャルストリームで完全に頭がiPadな件 |
趣味先進国アメリカに学んでみようと思う |
自分マネタイズ論 |
子育て 2.0 : iPadはMy First Appleになるか? |
行為が流通するプラットフォームに新しい時代を感じる |