邪馬台三国志

邪馬台三国志

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最終更新日 2024年12月21日 1ヶ月以内
ページ数 PDF:320ページ
内容紹介

一八〇年代、倭王で日隈王の伊奘諾は、六代天神から東方統治建て直しを詔されると、副都唐古を治める豊受皇太神(天神宗女向津姫の婿)を率い、畿内鎮圧に動いた。その最中に皇太神が反逆した。
一八五年、神戸市東部で大乱が勃発し、出雲に飛び火した。敗れた伊奘諾は、向津姫・素戔嗚と共に日向に逃れた。勝った皇太神は瑞穂厳之国王朝(邪馬台国)を建てると、水天神天照大神と称して天叢雲剣を天璽に奉った。児の天鹿児山も火天神に立ち、羽羽矢を天璽とした。
一八〇年代後半、向津姫は高千穂宮で日神の天照大御神に昇り、八咫鏡を天璽に奉った。
一九○年頃、素戔嗚は出雲で大蛇(天鹿児山)を討ち、豊葦原中つ国立て直しに奮闘したが挫折した。その後、大己貴が葦原中つ国を再建して邪馬台国を攻めた。天照大神は日神への大政奉還が最善と悟った。
二一〇年前半、高千穂宮に赴いた天照大神(高皇産霊)は大己貴に国譲りさせると、火瓊瓊杵に吾田降臨を命じた。直後、大倭に戻って天火明に日高見国を建てさせ、関東~陸奥の領土拡大を命じた。
同じ頃、日神も大倭に向かった。その途上で夫が急逝した。
二二〇年代前半、日神は纏向宮で女王ヒミコに共立されると、倭国王朝に模様替えした。
一方の火瓊瓊杵は日向に西都を開き、日前と改名した。火明も市原市に東都を開いた。
二四〇年代中頃、女王と火瓊瓊杵が争い出した最中に火明が謀反したが、敗れて常陸に走った。
女王は火瓊瓊杵と和睦してその児火明饒速日に日本家を建てさせ、伊勢に遷座した。
二四〇年代末に女王が逝くと、饒速日は日本朝を開いた。
二代女王トヨの晋朝貢後、彼はヒミコ陵で郊祭して天神に昇った。火瓊瓊杵跡継の火火出見も、和国と改名した。
二七〇年代後半、景行は熊襲征伐を下命されたが、惨敗した。
二八〇年代前半、次に仲哀が副都橿日宮に赴いた。
この直後、和国を継いだ磐余彦は東征した。
東征軍が三世紀末に日本朝を降すと、饒速日は帰順を願い出た。
三〇一年、磐余彦(神武)は橿原に大和朝廷を開き、初代天皇に即位すると、饒速日の児に大和朝廷守護を厳命した。
三〇四年、神武は鳥見山中の祭場で郊祭し、天照大御神と高皇産霊を皇祖天神に奉った。