『ヤマト・出雲・邪馬台の三国志』上

『ヤマト・出雲・邪馬台の三国志』上

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最終更新日 2021年12月24日 3年以内
ページ数 PDF:110ページ
内容紹介

邪馬台時代の歴史を物語に。邪馬台史が見えた。
ヤマト(九州)は東海以西を治めていたが、二世紀末、大和の三輪氏が邪馬台を建て反乱した。ヤマトは敗れ日向に遷った。二二○年代、ヤマト国宗女の天照大御神は日向から大和に遷座して女王に立ち、日向王朝と対立するが、三世紀末、大御神末裔の神武が東征して邪馬台を討ち大和朝廷を開く。イザナキ~神功の「記紀」物語には、邪馬台史が隠されている。

前四〜五世紀、揚子江流域の呉・越の海人たちが、北九州に渡来し米づくりを始めた。
前三世紀頃、秦に滅ぼされた韓人らが朝鮮半島を経由し、北九州に移住した。この末裔たちが北九州に倭奴国(以後ヤマトと記す)を建て、短期間に東海地方まで支配し、各地に分国を建てて百余国を封建統治した。ヤマト分国の大倭国は畿内を統治し、北九州についで栄えた。
西暦五七年、ヤマトの王クニノトコタチは、後漢の光武帝に使節を送り、倭国王と認められた。
七代イザナキ治世の一八四年、大倭配下の三輪氏が反乱し、大倭王を担いで邪馬台国を建て、ヤマトに敵対する。ヤマトは出雲の天下分け目の決戦で大敗し、北九州を追われ南に逃れた。
勝った邪馬台国は、東海から北九州までの国々を従え倭国の盟主となる。これが倭国大乱だ
その結果、イザナキは降伏し高千穂に遷った。一方、スサノオは出雲に乗り込みオロチの三輪族を平らげると、大御神の子の押穂耳に国を譲ると誓約し草那芸剣を高千穂に届ける。しかし、出雲土豪のオオナムチが次第に力をつけ、三輪氏に敵対した。
その後もオオナムチの勢力が強まると、三輪氏と大御神が、オオナムチ征伐・押穂耳の倭王擁立で手を結び、オオナムチに国譲りを迫る。二神に忠誠を誓った彼は大物主の地位を与えられ、押穂耳の子の火明命を養子に授けられた。
押穂耳が倭王を辞退しニニギに王位を譲ると申し出たため、タカミムスビと大御神がニニギに三種神器を授け、大倭に降臨させようとすると、三輪氏とオオナムチが火明擁立を決める。
同じ頃、イザナキが崩御した。火明後見のため大御神の畿内遷座が決まると、猿田彦がニニギを先導して薩摩に送り届けた。その後、大御神は丹後の火明を伴い、大倭入りした。
 目次
あらすじ
Ⅰ 渡来人と稲作 理想郷を目指して 日本に渡ってきた人たち
 中国の石器時代 中国の神話時代
 殷の時代 周の時代 春秋時代 戦国時代
Ⅱ ヤマト建国 ヤマト建国 秦と漢 国と祀りごと 
Ⅲ 筑紫の都 王墓の時代 金印と初代天皇 北九州の王墓と都 
Ⅳ 倭国大乱と邪馬台 イザナキ時代 畿内の反乱 倭国大乱
 ヤマトの南遷 天照大御神 邪馬台(やまと)国
 邪馬台国はどこか 伊都国 倭奴(ヤマト)国、奴国 分割された北九州
Ⅳ 東西の王朝 天照大御神とスサノオ命 スサノオのオロチ退治
 オオナムチの国ゆずり ニニギの天降り 大御神の畿内遷座 纏向の都