『邪馬台三国志』歴史物語編 中

『邪馬台三国志』歴史物語編 中

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最終更新日 2024年12月21日 1ヶ月以内
ページ数 PDF:260ページ
内容紹介

一八〇年代、伊奘諾は天神から東方統治建て直しを詔されると、太子の豊受皇太神(向津姫の入り婿)を率い、鎮圧に動いた。その最中に、皇太神が謀反した。
一八五年、決戦が神戸市東部で勃発し、出雲に飛び火した。伊奘諾は闇見国で大敗し、向津姫(天神の宗女)らと日向に逃れた。
勝った皇太神は、大蛇、水天神天照大神と称して瑞穂の厳之国王朝(邪馬台国)を建て、唐古に都して仏法流布・常世づくりに入れ込んだ。
その後、高千穂宮に遷った向津姫は、八咫鏡(三角縁神獣鏡)を天璽に奉って日神の天照大御神に昇った。
一九○年過ぎ、素戔嗚は八岐大蛇を討って叢雲剣・羽羽矢を召し上げ、豊葦原中つ国再建に奮闘したが、大己貴に邪魔された。
その後、大己貴が葦原中つ国建て直しに成功し、邪馬台国を攻めた。防戦一方の天照大神は、日神に大政奉還し、国を統一するのが最善と悟った。
二一〇年代前半、高千穂宮に赴いた天照大神(高皇産霊)は大己貴に国譲りさせると、火瓊瓊杵に三種宝物を授けて吾田降臨を命じた。
その直後、天照大神は帰国して天火明(二代垂仁)に日高見国を建てさせ、ついで常陸・陸奥の制圧を命じた。同じ頃、日神も大倭に向かった。その途上で夫が急逝した。
纏向入りした日神は女王ヒミコに共立されると、天(厳)之国王朝に模様替えした。
その後、火明は日高見国を千葉県市原市に遷し、東都を開いた。
一方の火瓊瓊杵は、笠沙に都して日隈を再興した後、西都に遷都して日前と改名した。
二三八年、ヒミコは魏帝から金印・銅鏡百を賜った。
二四〇年代中頃、ヒミコと火瓊瓊杵が争い出した。その最中に、火明が女王に謀反したが、失敗して常陸に遁走した。その後、ヒミコは火瓊瓊杵と和睦してその児海幸彦(火明饒速日)に日本家を建てさせ、伊勢に遷座した。
二四〇年代末にヒミコが逝くと、火明饒速日(三代垂仁)は日本朝を開いた。
トヨの朝貢後、彼はヒミコ陵を前方後円墳に造り変えるや、郊祭して天神に立った。同じ頃、火瓊瓊杵の家督を継いだ火火出見も和国と改名し、日本朝打倒を叫んだ。
二七〇年前後、景行は熊襲征伐を下命されたが、惨敗した。ついで仲哀が熊襲征伐を詔され、橿日宮から撃って出た。