『邪馬台三国志』歴史物語編 上

『邪馬台三国志』歴史物語編 上

販売価格:660円 (税込)
状態 完成
最終更新日 2024年12月21日 1ヶ月以内
ページ数 PDF:156ページ
内容紹介

邪馬台史決定版。邪馬台史を歴史物語に。
縄文晩期、呉太伯ら子孫が建てた天之国は、前三世紀の倭国王朝、一世紀の倭奴国王朝、大乱後の南九州では日隈・日前・和国の名で再興された後、大和朝廷として蘇った。とりわけ「戦わずして勝つ」を国是にした邪馬台史は、三国志や戦国・幕末期を凌ぐ世界中に誇れる歴史でした。本書はこれを踏まえて、倭国が大和朝廷に到る経緯を再現した歴史物語です。
縄文中期、中国五帝期黄帝につながる東の天帝の児が九州に渡来して、在郷の海神大神(東の天帝子孫)・鰐族らの上に立ち、地の神を至上とする那珂つ国を那珂川流域(福岡市)に建国した。
ついで前五世紀前半、呉太伯(周大王古公亶父の嫡子)・呉王夫差ら子孫が九州西北に渡来して天(日、太陽)を祀る天之国を興し、水田稲作を広めた。双方は天地と称して手を携え、摂津六甲山南麓、奈良盆地、琵琶湖南岸まで進出した。
前四世紀後半、夏后帝少康庶子・越王句践につながる越オロチ族が薩摩半島に襲来して那珂つ国に襲いかかり、蛇神を崇めるオロチ厳之国王朝を打ち立てた。
秦が天下統一した前三世紀後半、天之国は半島から渡来した韓系日高国(戦国七雄の韓子孫)と組んでオロチ厳之国王朝を倒し、倭国(高天、日高+天之国)王朝と銘打って東海まで進攻したが、縄文勢や北陸の越オロチ勢に阻まれた。

以後、豊葦原中つ国(豊国+厳分家の葦原家+中つ国)、伊都国(厳分家)、女系天神を担ぐ倭奴国(倭国+豊葦原中つ国、天地、あめつち)の王朝がたて続けに興った。