人は誰でも、しあわせになりたいと思って生きているであろう。ところが、何を手に入れても、何を成し遂げても、真の意味でしあわせになったと満足することはむずかしい。現実問題として、ふとしたことで悩みを生じ、さまざまな苦が襲いかかってくるからである。
 では、本当のしあわせに達することはできないのであろうか?
 そんなことは無いと、しあわせの境地に達した人は言う。しかも、そのしあわせの境地には基本的には誰もが到達し得るものだと説かれるのである。ただし、そのためにはあり得べき世界観を持つべきことが勧められる。
 その世界観にしたがいしあわせの境地に達したとき、読者はそれが決して遠い処にあるわけではなく、そこに至るための機縁も身近に出現するものであることを知るであろう。また、目的地に至るための修行も、決して険しいものでは無く楽しみと栄えと共に歩む道であることを理解するであろう。
 真のしあわせを求める人は現世で、つまり生きている間にそれを達成すべきである。そのために必要な基本的な要素は、すべての人が生まれながらに具有しているものだからである。
 読者が実際にこの究極の目的地に至ったとき、それが虚妄ならざる無上のしあわせであることを知るであろう。同時に、そのしあわせは揺らぐことの無い不滅のものであることも知るであろう。そのとき、読者もまた自らの世界観を世に表明することになるのである。
                            
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