さて、今回の『ソクラテスとプラトンの世界』というのは、『ソクラテスの弁明、第七書簡、歴史上のソクラテス』と『プラトンの世界』とをいわば一つに「統合した」ものであり、まず、『ソクラテスの弁明』では、まだ若い二十八歳のプラトンは、そのソクラテスの「裁判」に臨んで、一体、どのような心境であり、また、その「判決」やソクラテスの「刑死」後、一体、どのような心境になったのか? また、『第七書簡』では、まず、プラトンの「若い時の心境」(その「考えや想い」)とは、一体、どのようなものであり、また、プラトンにとって、師ソクラテスの「三つの難題」とは、一体、どういうものであったのか? さらに、プラトンは、なぜ、ソクラテスを主人公(或いは登場させた)作品で後年まで押し通したのか? それらの考察であり、そして、最後の『歴史上のソクラテス』では、実際のソクラテスという人は、一体、どのような人物であったのか? それを『饗宴』の中の「ソクラテス賛美」の本文から読み解いたものである。――一方、『無知の自覚と自然の問題』では、まず、若いソクラテスは、なぜ、「自然」の問題から「人間の探究」へと向かったのか? その「経緯」(推移)と、また、ソクラテスの「無知の自覚」とは、一体、どのようなものであり、また、ソクラテスが愛求した「知識」とは、一体、どのようなものになるのか? それらの考察であり、また、「イデア論」への「六段階」では、まず、プラトンは、なぜ、「イデア論」というものを必要とし、それを華々しく展開しなければならなかったか? その「推移」を「六段階」に分けて丁寧に考察したものであり、そして、最後の「無知の自覚」と「イデア論」との関係では、ソクラテスが愛求した「真知」とプラトンの「イデア界」の「イデア」とは、やがて「一体化」し、一つに深く重なり合うようになるという考察であり、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。