二〇〇八年冬のある日、翌年三月一三日限りで東京発着の寝台特急「富士・はやぶさ」廃止という記事が朝日新聞に載った。それを眼にした私は、「この機会を逃すと、東京発着の寝台特急(ブルートレイン)に、もう二度と乗れなくなる。廃止前に一度は乗っておきたい。いや、乗らなければならない。」という使命感に駆られ、仕事の合間を縫って乗ることに決めた。娘は二歳で列車での長旅は事実上無理であり、必然的にこの旅は一人旅となる。
 妻の同意を得て、仕事の調整を行って日程を探った結果、二〇〇九年二月二一・二二日の土日に決行することとなった。
 行きは「はやぶさ」、帰りは「富士」で往復しよう、と一カ月以上前から予約を入れたが、結局取れたのは帰りの「富士」B寝台ソロだけであった。そのため、行きは代替的に「のぞみ」で博多に行くことにした。また、周遊きっぷ(福岡ゾーン)と、現地に一泊することにしてできた時間を利用して、九州北部の、かつて筑豊炭田の発展に歩調を合わせるように張り巡らされ、その衰退とともに廃止されていった鉄道網を、出来る限りくまなく乗ることにした。
 この文章は、今年三月をもって廃止となった寝台特急(「富士・はやぶさ」)と九州北部のローカル線に乗り、九州北部を舞台にした伸びる鉄路(新幹線網など)、朽ちる鉄路(東京発着のブルートレインや筑豊地区の旧国鉄路線など)の実態を見詰めた紀行文である。
                            
| 出発まで | 
| 当日朝 | 
| 新幹線を降りて | 
| 久大本線へ | 
| 夜明駅から日田彦山線へ | 
| 門司港へ | 
| 鹿児島本線で香椎へ | 
| 香椎線を行ったり来たり | 
| 翌朝 | 
| 原田から筑豊本線へ | 
| 桂川から若松へ | 
| 福北ゆたか線で新飯塚へ | 
| 後藤寺線で田川後藤寺へ | 
| 糸田線で金田へ | 
| 平成筑豊鉄道を行ったり来たり | 
| 行橋からいざ「富士」へ | 
| 富士で東京へ | 
| いつもの自宅へ |