兄ちゃんに神を与える 利尻の生き神様


著: aeyaf661

兄ちゃんに神を与える 利尻の生き神様

著: aeyaf661
販売価格:1,100円 (税込)
状態 執筆中
最終更新日 2020年03月05日 3年以内
ページ数 PDF:41ページ
内容紹介

概 要  

この話は望月亘(ご本人生存中につき仮称)のライフヒストリーです。
昭和十三年三月三十一日、六人兄弟の末っ子として利尻町緑町で誕生。誕生以前から母の従姉妹に当たる輪島家に養子に出されることが決まっていました。
春三月となれば鰊漁の最盛期で活気にあふれていた。しかし、母の方は当時、漁村でもお産の穢れを忌む風習が強く産婦は二十一日の間隔離される習慣がありました。父は樺太亜庭湾に出かけて留守、養父に成る輪島は仕事の都合で出張中。輪島が亘を入籍したのは誕生から三十五日も経っていた。
輪島はボーリング技師。いろいろな炭鉱を回っていた。仕事のない時は利尻に帰って昆布の採集などをしていた。この年は鰊漁もコンブ漁も不漁で別に仕事を探していた。樺太の塔路炭鉱で職を得て樺太の恵須取へ出向きます。十一月には社宅が空いて、妻のミヨと亘二人で恵須取に。北緯50度で分断されていた樺太南―豊原・真岡➗敷香・恵須取は支庁が置かれ日本の支配下にあった。恵須取は大きな港ではないので本船は沖合に碇泊。艀で送り迎いです。輪島は休暇を取り艀に乗って本船まで迎えに行ました。
輪島一家は塔路での生活が一番幸せな時でした。おそろいの浴衣で夜祭に出かけたことお風呂帰り肩車でのお喋り、輪島のご両親との生活など。
しかし、昭和十七年輪島は七月、マライ炭鉱開発のために出兵。そらから間もなくミヨは肺結核で塔路炭鉱病院に入院。再発して札幌の病院に入院そして亡くなった。国境続きなのでよくロシア人が二人組で来て恐ろしかった。亘はミヨの姉夫妻の世話になったが結局実母の家に戻った。母は父の無事を祈願するために成田権現に通っていた。亘も一緒に行っていた。
二十一歳の時、「兄ちゃんに神を与える」といわれる。
札幌で、定年までは普通の人たちと同じように生活し、病に罹り、一度死す。神から新しい命をいただき、定年後は神のことばに添えるように努力している。

目次
1,兄ちゃんの幼年時代
2,昭和35年8月14日の出来事
3,ガンの病で一度死す
4,神との関わり
5,ある日のドキュメント
6,果たすべき任務
二人で報告の旅