さて、今回の「洞窟の比喩」(「善のイデア」の観取)というのは、プラトンの「三つの比喩」(それは「太陽の比喩」と「線分の比喩」それに「洞窟の比喩」)という、この「三つの比喩」の、まさに「最後の項目」であり、例えば、プラトンの「教育プログラム」では、まず、「……算数、平面幾何学、立体幾何学、天文学(天体力学)、音楽理論、その他」などを本格的に学ぶことによって、その「魂の眼」を上の方へと十分に上昇させてから、最後には本格的な「哲学的問答法」によってこそ、いわゆる「善のイデア」を観て取ることができ得るというものであるが、それは、今日で言えば、幼稚園、小学校、中・高時代、そして、大学や大学院、その他という、それぞれの「学校教育」を中心とした様々な教育を受ける過程において、手足や首の「縛(いまし)め」なども次第に解かれて来るということであり、そして、「大学・社会人時代」になれば、様々な書物を深く読んだり、文学や芸術などに深くたずさわったり、また、大学やその他で専門的な「知識や技術」などを学んだり、あるいは大学院やその他の分野で何らかの研究などを真剣に行なうようになることによって、その人は、人間や様々な物事の「本質、真実、真理、源泉、その他」などをどこまでも深く厳密に探究するような、そういう本格的な「思考(思索)活動」を何年も積み重ねていくうちに、やがてその手足や首の「縛(いまし)め」も、自分の力で解くにしろ(或いは他人の力を借りて解かれるにしろ)、完全に解かれることになるわけである。それをプラトン風に言えば、遙か彼方にある「叡知界」(つまり「イデア界」)の方へと想いを寄せて、最究極的には「美のイデア」や「善のイデア」などを観て取る地点にまで到達しようとする、そのようなもの凄い「知識欲」(つまり「真善美欲」)に襲われることになるが、それこそは、まさにプラトンの「神的な恋(エロス)」というものであり、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。
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