特集
わらじ医者(早川一光さん)の戦争体験
軍隊の命令で、僕が医学生の時、焼夷弾から民家を守るために、京都市内の家々の天井板を剥がした
早川一光さん(九三歳)がこれまで生きてこられた道、その道のなかで、戦争の時代はどのような道程(どうてい)だったのでしょうか。
昨年八月、幸恵夫人の誕生日までに発刊したいと願ってつくられた『寒月』は、わらじ医者の女房がわらじ医者と共に体験したこと、共に在宅医療を支え、地域の人々と過ごしてこられた体験をもとに作成されました。早川一光さんや幸恵さんから、ぜひその背景や京都での戦争体験を読者のみなさんに伝えようと、若い方々にも参加していただいて、お話を伺うことにしました。
実は、その前にこんなことがありました。五月、早川さんは百数十名の学生を前に自らの体験や、命、福祉に対する考えを紹介されました。特に、すべての命は平等、それは天皇だって同じ。人の生活行為からみても同じ、という話も考えておられました。しかし、限られた時間のなかで、早川さんの体調もあったのですが、ご自分の思いを十分語ることができなかったのです。
その経緯もあり、ある日、電話がかかってきました。「六月一〇日の戦争体験の話だが、ちゃんと打ち合わせをしておきたい」と。そこで電話ではなく、早川宅で打ち合わせをおこなうことになりました。私はその時、京都の空襲については、他の日本の都市と大きな違いがあったこと。そして吉田守男(もりお)さん(歴史学者・京都空襲などを研究調査、故人)の史料を少し紹介しました(特集の後半に掲載しています)。
この話を紹介すると、早川さんは、「黒田君の話はフィクションだ。信じられん」と言われ、一〇日は簡単な経緯は紹介するが、「人の命は、みんな平等で、みんな重いということを、戦争を体験してきた医師として語ってほしい」ということで、当日を迎えることになりました。