さて、今回の『愛着について、作者と作品、芸術鑑賞』という作品は、次のような内容のものであり、まず、「愛着」であるが、例えば、われわれの身のまわりには、もう実に色々なものや活動などに満ちあふれているわけだが、しかし、ただ単にそれらと「関わり」を持ちさえすれば、すぐにもその対象に「愛着」が生じるというものでもなく、ある程度「慣れ親しむ」ということが必要であるとともに、その「慣れ親しんだもの」の中でも、「特に気に入っているもの」(或いは「楽しい想い出や懐かしい想い出につながるようなもの」)にこそ、いわゆる「愛着」というものは、はっきりと生じて来るものである。――一方、「作者」と「作品」との関係は、まさに「親」と「子」との関係であり、母親は、自分の「胎内」で次第に「熟してきたもの」を外に「生み出す」ことになるが、それと全く同じように、作者の「頭の中」(或いは「心の中」)で次第に「熟してきたもの」を外に「生み出す」ということであるが、その「作品」というのは、間違いなく、作者の「思惟内容」(つまり様々な「思いや考え+漠然としたもの」)から生み出されて来るものであり、それゆえ、「芸術鑑賞」とは、すなわち、最終的には、その「作品」が生み出された時の作者の「思惟内容」(つまり様々な「思いや考え+漠然としたもの」)へと遡(さかのぼ)ることに他ならないということである。その他、そのような内容であり、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。